心地よいシュールさとテンポのよさが癖になります。
基本的には、「日常よくありそうなことを取り上げ、些細な心情をどこまでも大げさに表現する。」といったギャグ主体のアニメ。しかし、このアニメは他のギャグアニメとは一線を画した存在感があります。一言で言ってしまえば「シュール」なわけですが、この「シュール」が絶妙なのです。
一見無意味に散りばめられたようにも感じるシュール表現ですが、実はこのアニメの本筋である「些細な心情を大げさに表現する」ことに一役買っているのだと思います。
例えば、「登校中のゆっこの頭に、こけし→あかべこ→生シャケが次々と降ってくる」という場面。当然こけし、あかべこという選択がシュール(生シャケに関しては事前に「まさか生ものは降ってこないよね。」というゆっこの発言がフリになっているのでシュールには含みません)なわけです。「空から降ってきたものが頭に当たる」という理不尽な不幸を受けたゆっこのやるせない感情。こけし、あかべこ、というどこかポップで的外れなアイテムを使うことで、この「負の感情」や「当てどころのない怒り」が反作用的に強調されているのです。
このように意味のあるシュールもあれば、意味のないシュールもふんだんに盛り込まれています。意味のないシュールも不必要なわけではありません。全体としての画の面白み、テンポのよさ、オシャレさ等に貢献しています。
そもそもシュールとは何か。「シュルレアリスム」の話になると私の許容範囲を超えるので、あくまでも「シュールな笑い」というものがすでに独立していると仮定して考えます。
私は「シュールな笑い」=「やりっぱなしの笑い」だと思っています。いわゆる「ボケ」「ツッコミ」でいうと、ツッコミを完全に排除したかたちになります。ツッコミといっても様々な形式があります。誰かが間違いを指摘するパターンだけではなく、ボケによって何らかの災難が起きるだけでもツッコミにと同じような役割を果たします。つまり、「今のはおかしですよ」ということを視聴者に説明することがツッコミの役割なのです。
ツッコミがない「シュールな笑い」はツッコミを視聴者に任せていることになります。視聴者はどこがおかしいのか自分で判断して心の中でツッコムことになります。これが「シュールな笑い」の本懐なのです。自分でツッコミを入れたときに視聴者は面白さと同時に、「この笑いを理解したぞ。」という満足感を味わうことができるのです。シュールな笑いに面白さだけではなく、カッコよさやオシャレさを感じるのはこのためではないでしょうか。
アニメ『日常』に話を戻します。『ラブ的』というミニコーナーみたいなものがあります。「青春の甘酸っぱいシーンや心温まるシーンを切り取る」という笑いなしのコーナーなのですが、上のような考え方をすればシュールな笑いであるとも言えます。ギャグアニメの中で唐突に笑いなしコーナー。「急に真面目だなっ!」と心の中でツッコミが入ればこれも立派なシュールになるのです。
観る人によってとらえ方も様々。これがこのアニメ、ひいては「シュール」の魅力ではないでしょうか。
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