忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

ガッチャマンクラウズ






「タツノコプロ50周年でガッチャマン新作」この情報だけで既に期待せずにはいられない作品。「ガッチャマン」を冠しておきながら手抜き作品を作れるわけがないからだ。さらにオープニングが超カッコいい。これは絶対に面白い、そう確信して視聴を開始した。
そして全話視聴した今の感想。
オリジナル作品なのに、なぜあそこまで場当たり的な脚本をよしとできたのか、まったく疑問だ。
「現代社会にヒーローは必要か?」というしっかりとしたテーマを掲げながら、ふたを開ければその場限りの演出ばかりが詰め込まれて、本筋はペラペラ。原作があってそこから編集している、とかなら分かるのだが、初めからアニメ放送に収めるつもりで作ったストーリーでこれはどうかと思う。
ただ、ストーリーやテーマは無視してもう少し細かな見方をすれば、先ほど書いたようにオープニングや挿入歌のカッコよさ(特に主人公が変身したときの演出は妙にカッコいい)のおかげで、テンポよく見られる作品ではある。それから、場当たり的なストーリーもその場限りの期待感はあるので、決して退屈することは無い。だたしその後の展開を期待すると裏切られることになる。


まず本筋の部分について、ここではガッチャマンとは別の方法で良い世界を実現しようとする人物が登場し、それがストーリのキモになる。その人物には「今国民は一部のリーダーに頼りすぎている。世界を変えるには国民それぞれの人助けの意識を啓発する必要がある」というはっきりとした思想があり、自身で開発したアプリでその思想を現実へと近づけつつある。そこでガッチャマンの存在が明らかになるのだが、言うまでもなく彼にとっては「ヒーロー」なんてものは、変わりつつある国民の意識をまた低下させてしまう存在で、ガッチャマンには活動をやめるように要求する。というあたりがのが最も重要であると感じた部分。何が面白いのかというと視聴者側からすればあまりにも有名なヒーローである「ガッチャマン」の新作で、その存在を否定してしまっているということ。ガッチャマン放送から40年、アニメ文化の進化、視聴者の理解度の進化によってその存在自体もより掘り下げて考え直す時が来た。と考えればガッチャマンの新作に見合うだけのテーマであるといえるのかもしれない。


ここまでちゃんとしたテーマを掲げて、結局それをおざなりに終わらせたということが問題。一応なんとなく完結はしているのだが、全然芯を食っていない。とにかく、その場だけのおもしろい展開を継ぎ足し継ぎ足しで本筋が見えなくなっている。
例えば、もともとガッチャマンが戦っていた「メス」、あれは結局なんだったのか。まさか「一見敵でも、こちらから歩み寄れば分かりあえる」という説明をするためだけに登場させているのではないだろうか?

それから・・・
・オーディーが変身したら地球が滅びるのはずじゃないの?
・JJはとってつけたような神々しいキャラのわりに、最後はなんとなく無能な感じに処理さ
 れている。
・ベルクカッツェとオーディーのオカマキャラがかぶってるのは関係ないの?
・批々木丈のキャラがエピソードによって変わりすぎ。同一人物とは思えない。

等々、ノイズが多すぎて本筋が全然見えてこない。めだかボックスのようなそういう勢いを楽しむタイプの作品ならこれでもいいのかもしれないが、とにかく私は上に書いたテーマについてもっと掘り下げてほしかった。

拍手[0回]

PR

コメント

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

カレンダー

11 2024/12 01
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

フリーエリア

最新CM

[04/27 らるず]
[04/27 しはんく]

プロフィール

HN:
らるず
性別:              メンズ

バーコード

ブログ内検索

P R

忍者アナライズ

カウンター