ローゼンメイデンと言えば「ローゼン麻生」でもおなじみ、かなりの有名どころアニメだ。とは言いつつ私は前作アニメは観ていないという状態で今作を視聴した。そんな状態でも登場するドールはほぼすべて見覚えがあった。というよりは「これローゼンメイデンのキャラだったんだ」と気づいた、という方が正しいかもしれない。どちらにしてもキャラクターだけでもここまで浸透しているのは、さすがの人気ということなのだろう。
このアニメは、なかなか極端な2部構成となっている。そして前半、後半で印象が大きく違うため、全体をとおして「星いくつ」というのは難しいように感じたが、前半が星4つ、後半が星2つで、あいだをとって星3つということにする。要は、前半はかなりおもしろくて、後半はダメだったというのが私の印象だ。
まず前半、ここは鬱屈した大学生生活をおくる主人公とそこにやってきたドールの真紅が、特に何が起こるでもなく生活しているというだけのパート。ストーリーが動き出すのは後半になってからなのだが、「ずっと何も起こらなくてもいい」と感じてしまうほど前半は良かった。何が良かったのかというと、とにかく真紅が可愛いよ、というところだ。今までいろいろ俗っぽいアニメも見てきたが、今回このアニメで「萌え」というものの真髄を見たような気がした。主人公の汚いアパートにはあまりにも不釣合いな、気品あふれる貴族のような真紅が、何かにつけて文句を言いながらもこの生活になじんでいる様。小さな体で、ちょっとした段差を乗り越えたり、新聞を読んだりするのにも一苦労している様。それでも主人公のことはしもべ扱いしている様。など。所作がいちいち可愛らしい。
私はかねてから「萌え」というのは、日本人が培ってきた「詫び、寂び」の派生形の一つなのだと思っている(実際、詫び寂び萌えという言葉があるようだ)。ただ単に美少女が出てくるということだけではなく、そこに「ぼろアパートに住んでいる」とか「小さくて不便そう」とか「お高くとまってる」とか、なにか難を抱えている方がかえって愛おしさを感じるわけだ。これは質素なものを美しいとする詫び寂びに通じるものがある。千利休の小さな茶室と、真紅の小ささはには同じ魅力があるのではないか、ということだ。前半部分にはそんな萌えの本質が詰まっていた。設定は同じなのだとしたら、前作が有名になるのも納得できる。
後半について、ここからストーリーが動き出すのだが、正直前作を見ていない私にとっては全く面白くなかった。設定がよく分からない、という問題もあったが、それよりも中途半端にファンサービスをし過ぎているという感じがした。とは言っても、前作を見た人にとってもお世辞にも面白いとは言えない中途半端さだったのではないだろうか。
舞台が現実世界から「Nのフィールド」という場所にうつり、さらに今まで登場してこなかったドールたちがなんだかんだで揃い、「誰がマスターで・・・」「ローザミスティカが・・・」と、用語を交えて今がいかに大変かということをいろいろ説明してくれているのだが、なんというか、ストーリーに感動したり、先が気になったり、という気持ちが全く起こらない。「ああ、なんかやってるな」という感じだ。さらに、全体が「ドールの世界」&「バトルもの」の雰囲気になってしまっているため、前半で感じた萌えの真髄もすっかり感じられなくなってしまった。
良いところと悪いところが極端なアニメだったが、総合してみれば佳作程度、後に語られるほどの作品ではなかった。しかし、逆を返せば、しっかりと名作の仲間入りをしている前作は、今作の良いところはそのままに、ストーリー面も優れていたのではないだろうかと期待してしまう。暇があれば前作もぜひ視聴したいところだ。
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