まずタイトルだけを見たとき、私の駄作アニメセンサーが反応したというのは言うまでもない。「俺の妹が~」のヒット以降あからさまにこの手のタイトルが増えたが、「とりあえずタイトルで釣っとこう」という志の低さが見え見えだからだ。俺妹以降は、キャラは魅力的だったりするんだけど決して大当たりはしない。この手のタイトルはそういうタイプのアニメの目印となっていたわけだ。
しかし、このアニメは例外であったといえる。まず私の予想を裏切ったのは、このアニメが純粋なコメディアニメだったということ。(ここではあえて「ギャグ」ではなく「コメディ」という言葉を使いたい)そしてコメディとしての完成度が非常に高い。正直、アニメを見ていてこんなに面白いと感じたのは初めてだ。私は基本的にアニメを見ていても声を出して笑うことは無いが、今回は普通に笑いながら視聴してしまった。
大まかな内容はタイトルの通り「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」と考えている女の子が高校生になり、リア充の仲間入りを目指すというお話。「どうせモテないとか言っても、それは最初だけでただの萌えアニメになるんだろうな」となんとなく思っていたが、このアニメの主人公は徹底的にモテない。モテないというか要は極端な人見知りということなのだろうとは思うが、とにかくそしてその感じがものすごく共感できてしまった。例えば1話の「一人でマクドナルドに来たら、クラスのリア充グループが入店してきた」という場面で、なんとか見つからないように店から脱出しようとする感じとかは、共感でき過ぎてシビれるものがあった。人見知りにとっては些細なことがサバイバルのようになるわけだ。そもそもなぜ見つかってはいけないのということもおかしなことだが、とにかく見つかってはいけないのだ。それから中学時代の親友に電話をかけ、そのたびに落ち込むはめになるというシーンがよくあるのだが、仲の良い人ほど絶対にこちらからは電話をかけないというポリシーを持っている私からすると「だからいきなり電話はダメなんだって」とひとりヤキモキしながら見てしまうのである。(この感じは理解できる人だけ理解できればいいと思う)
主人公のセリフは実は9割方心の声だというところも残酷なリアリティを感じる。実際に他人と話すセリフはことごとく蚊の鳴くような声になってしまうのだが、もしこのアニメから心の声をとったら、まったく成立しなくなってしまうということに気付くとなんだか虚しい気持ちになる。
こういう感じのネタが尽きることなく詰め込まれているのだが、私にとってはこれだけで感動的といってもいいほど共感でき同時に面白いものだった。
このアニメの凄いところは、人見知りネタの優秀さだけでも最高に面白いというのに、それを乗せるストーリーが他のギャグアニメの構造とは根本的に違い、かつ非常に練られたものであるということだ。一般的にギャグアニメというものの笑いのとり方は「ギャグ」という言葉にふさわしく、その場限りのおもしろ要素をポンポンポンと並べていくような構造のものが多い。言うなればバラエティ番組見られるような偶然の笑いに近いものがある。しかし、アニメというものにはストーリー性を付けることができる。ストーリーで感動できるのと同じように、笑いをストーリーから生み出すということも本来は可能なわけだ。そのことを見事にやってくれているのがこのアニメの素晴らしいところである。
1話の中でキッチリ最後に大オチがくるように計算され、それに合わせて見事に「フリ」の部分が展開される。例えばよくあるストーリーのパターンで言うと、主人公黒木智子がリア充になるための方法を自己流で見つけ出し「これで私もリア充に・・・」と確信して突き進み始める。この方法があからさまに間違っていて、視聴者からすると「これは絶対に失敗するぞ」という期待感を煽る感じが絶妙にうまい。「志村うしろうしろ!」のおもしろさに近い感覚なのだろう。
そして智子は視聴者の期待に答えるように見事に作戦を失敗し、結局いつものように落ち込むはめになる。持ち合わせた不幸体質も相まって畳み掛けるように不幸が押し寄せるあたりが1話分のフィナーレとして最高に面白い。
私が大切だと思うのは、いつも失敗の原因は主人公のちょっとしたミスや考えの甘さからきているということ。これのおかげで主人公は落ち込んでいるというのに「バカだなぁ」というスカッとした面白さが生まれるのだと思う。
このようなストーリーに根差した笑いをやっているアニメというのはとても少なく、私の知る限りではこのアニメと近い展開をやっているのは意外にも『ちびまる子ちゃん』(原作にある話)くらいではないかと思う。
今回私はこのアニメの「人見知りネタ」に猛烈に共感したわけなのだが、メディアから提供されるものでこれほど強く共感したのは人生で2度目だ。ちなみに一回目は伊集院光のラジオでやっていた「リストカッターケンイチ」というコーナー。些細なことですぐに落ち込んでリストカットしてしまう少年の物語を募集するコーナーで、私はこのコーナーが面白すぎたことがきっかけで現在もラジオが生活に欠かせないものにまでなっている。しかし、リストカットというのがよろしくなかったのか、残念なことに何のアナウンスもなくこのコーナーは終わってしまった。
このアニメにもリストカッターケンイチにもいえることだが、「もはや自分のこととしか思えない」というレベルの共感ネタを見たとき、よくある「あるあるネタ」で笑っているときとはまた違う感覚を覚える。笑っていることに違いはないのだがその成分が「おもしろい」よりむしろ「うれしい」が勝っている。世の中に自分と同じ考え方をしている人がいるんだ、ということが確認できるだけでこんなにも安心できるのかということは、経験してみないと分からない。
何が言いたいかというと、最近アニメを見ていると「主人公は友達が少ない」という設定が濫立しているが、たいていその設定は「なんとなく主人公が成長して・・・仲間ができて・・」とか「結局ヒロインがデレはじめて・・」というようにとってつけたようなハッピーエンドを迎えることになる。「そういう主人公に感情移入してせいぜいウハウハしてくださいね」ということなのだろうけど、少なくとも感情移入という意味ではこういうやり方をされても心に刺さるものは何一つ無い。逆にこのアニメのように主人公が報われるような話でなくても、「自分と同じ考え方の人がいる」ということが分かるだけで、こんなにも面白く結果的には励みになるのだということをライトノベルや漫画をかいている人にはぜひ理解してほしい。
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