イタリア政府・首相府は、表向きには障害者への様々な支援を行う組織として公益法人「社会福祉公社」を設立する。しかしその実態は、身体に障害を持った少女たちを集め、身体の改造と洗脳を行い、反政府組織に対する暗殺をはじめとした超法規的活動を行わせる闇の面を持った組織だった。少女たちは、「義体」と呼ばれる人工の肉体と引き換えに、時に危険すら顧みられることなく銃を手に戦う運命を背負わされた。(wikioedia)
いつも理屈をこねて文句ばかりを書いている私だが、GUNSLINGER GIRLは珍しく手放しに良かったと言いたい作品のひとつだ。
全体は暗い雰囲気で、常に悲しさが付きまとうのだが、その中で一瞬感じられる人間味を感じるシーンに胸が熱くなるストーリー。さらに、ストーリーの魅力引き立てるBGMやセリフの言い方などの演出。毎話を飽きさせない構成。13話で終了したとは思えないほど胸に刺さる最終回。など、総合的に見ても非常に完成度が高い。自信を持ってお勧めしたいアニメである。
ちなみにこのアニメは2期も存在するのだが、もしこれからこのアニメを視聴しようと思っていて、1期2期ともに楽しみたいという人には、まず2期から見ることを強くおすすめする。その理由については後で説明することにする。
「女の子が銃を持って戦う、そして凄く強い。」アニメや漫画では比較的よくある設定だ。GUNSLINGER GIRLもパッと見ではそういったジャンルに入るのかもしれない。一般的なこの系統のアニメは銃と女の子のギャップで「女の子が可愛い、もしくはその裏返しでカッコいい」といった趣向が強く出ている。しかし、このアニメの戦闘シーンは「子供が戦うなんてどうかしてる」という印象を常に感じる。かっこよさや可愛さより、むしろそういった不条理を感じさせる演出がされているのだ。その時点で単なるガンアクションアニメであるという認識は捨てるべきだ。このアニメは心理描写メインの非常に文学的な作品であるといえる。ガンアクションはあくまでも作品全体にリズム感を出すためのアクセントのようなものと考えた方がよい。
このアニメを見ていると、少女たちのあまりにも辛く悲しい境遇に幾度となく胸を締め付けられ、やりきれない気持ちになる。「条件付け」と呼ばれる洗脳によって彼女たちは過去の記憶を失い、戦闘の道具として都合のよい感情のみが植えつけられている。悲しいのは、それが彼女たちにとって必ずしも不幸というわけではなく、道具として扱われることに幸せを感じてしまう、洗脳というもののそういった側面を描いているということだ。義体それぞれにつく担当官に対しての強い忠誠心と愛情も、条件付けによって植えつけられたものなのか、本当にそう感じていたのか、本人にもその境界すら分からない。そういった漠然とした葛藤にさいなまれることもありながら、それでも限られた感情と環境の中で必死に「普通の女の子」として生きようとする少女たちに、大げさではなく「生きることの意味」について考えさせられる。
作品全体は、中盤くらいまでは各フラテッロ(義体と担当官のコンビ)に着目したオムニバスに近い作りになっている。担当官によって義体の扱い方はことなっていて、例えばメインキャラクターであるヘンリエッタの担当官ジョゼは、極力条件付けによる強要はしないで普通の生活をさせたいと考え、エルザの担当官ラウーロは義体を徹底して道具として扱っている。各エピソードは担当官目線で展開するものも多い。一見冷酷に感じられる担当官も、洗脳によって忠誠を得ているということに矛盾を感じ苦しめられている。心の底ではそんな感情を持ちつつ非情な態度をとる担当官と、愛情を得ることはできないと分かっていても忠誠を尽くすことしかできない義体の関係性というのがエピソードのキモである。この関係性が大きく変わることはないが、そんな中で一瞬でも義体に対して素直な感情をみせる担当官のシーンなどが、それだけで彼らは幸せだったのかもしれないと思わせるような、絶妙な感情の推移が各エピソードに感じられる。
最終話は決して大団円というわけではない。さんざん書いたように、彼女たちの悲しい境遇はこれからも変わることは無い。ラストでは、そんな義体たちが流星群の鑑賞をしながらベートーヴェンの第九を合唱し、その一方で、短い寿命を迎えようとしているアンジェリカに担当官のマルコ―はそれまでの時間を取り戻そうとするかのように、手作りの絵本を必死に読み聞かせる。要は、それまでのエピソードと同じく悲劇的で、しかしその中の少しの希望が感動的、という作りをくり返しているわけだが、そこにアンジェリカの死という大きな区切りと、第九の力を効果的に生かすことで芸術的なシーンに昇華させているのである。この最終回のおかげで、1クールだけのアニメとは思えないほどの、壮大な後味を残している。最後まで抜かりない作りには脱帽した。
何かを褒めようとしたときに他の物の悪口を言わずにはいられない、というのあまり良いことではない。しかし、このアニメの雰囲気づくりの優秀さを語るうえでは、2期のガッカリと比較するのが最も分かりやすい。
1期と2期では製作会社が違うらしく、そのせいでストーリー以外は何もかも違う。簡潔に言えば2期は何かと「普通のアニメ」になってしまった。逆を返せば1期がいかにストーリーに即した特殊な世界観を演出できていたかが分かる。2期で最も違うと感じたのは義体たちの声としゃべり方だ。2期はいわゆるよくある「アニメ声」、明らかに萌え要素が強くなっている。それに対して1期はボソボソと「棒読み」だ。一見棒読みは良くないように感じるかもしれないが、感情をコントロールされている義体たちがぎこちなく普通の女の子の会話を演じようとしているように見えて、何気ない会話シーンにもそれとなく悲しげな意味が発生する演出になっているわけだ。それから2期では義体の心の声を安易に聞かせてしまっている、これも良くない。条件付けという謎の技術で義体の心の中がどうなっているかなんて、分からない方が自然だ。
これ以外にも、キャラクターの絵、BGM等何もかもが1期ではバッチリと世界観を作り上げ、2期ではそれが崩壊している。最初に書いたが、このアニメを1期2期ともに楽しみたいなら2期から先に見るべきだ。1期→2期の順でみてしまうと、よほどの精神力が無いかぎり、2期1話を最後まで観ることすら難しいだろう。こういう言い方はしたくないが「2期が1期の冒涜になっている」と言ってもいいほどガッカリしてしまうからだ。
しかし、冷静になって2期を見てみると(私はリアルタイムで2期を先に見た)、ストーリーはぶれていないし、こちらも普通に面白い。とくにトリエラの活躍が見られるというだけでも見る価値はある。とにかく1期が良すぎたというだけで、2期だって捨てたものではないのだ。ガッカリしないために美味しい方は後に残しておこう。
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