先日観終わった『新世界より』。最終回がこんなに面白いアニメは珍しい、みたいなことを書きましたが。珍しいのはその部分だけではなく「感動のさせ方」も昨今のテレビアニメの中では少数派であると感じました。
物語における感動の種類は大きく2つに分けることができます。
1つは「感情に直接うったえる感動」、もう1つは「論理的な感動」です。
「親友が悪の手先に、世界を救うためにはたとえ親友でも戦わなくてはならない」というストーリーの場合、人類のため親友にとどめを刺す場面が「感情にうったえる感動」。とどめを刺された親友が息を引き取る間際、最後の会話で伏線が回収され世界の秘密が明らかになり「そんなっ・・・」となる場面が「論理的な感動」ということになります。
要するに「感情にうったえる感動」は登場人物に感情移入することで、ダイレクトに悲しい気持ちになったり嬉しい気持ちになったりすることで、「論理的な感動」は伏線が一気に回収される瞬間の気持ちよさ、いわゆる「カタルシス」というやつです。だだしややこしいのは伏線を回収しただけで「なるほどね」で終わってしまわないためには「論理的感動」であっても感情のエッセンスは入れなくてはいけないということです。
言い方を変えると「感情にうったえる感動」は「涙が出る感動」、「論理的な感動」は「鳥肌が立つ感動」とも言えるかもしれません。こちらの方が分かりやすいです。
『新世界より』の最終回はまさに「論理的な感動」でした。これがなかなか珍しいことなのです。
テレビアニメはその特性上どうしても「論理的な感動」を苦手とします。というよりはごく自然な流れで「感情にうったえる感動」にかたよりがちと言ったほうがいいかもしれません。
「論理的な感動」を実現するためにはゴールから逆算したストーリー展開が必要になります。また、いざ感動させた後は伏線を使い切ってカスカス状態になることも覚悟しなくてはいけません。
アニメは原作が漫画であることがほとんどだと思います。漫画は場当たり的に連載が続き最後は軟着陸する場合や、そもそも原作の連載はまだ終わっていないのにアニメは最終回になるということもしょっちゅうだと思います。このような状況では「ゴールから逆算」することはなかなか難しく自動的に「論理的な感動」も少数派になってしまします。
『新世界より』は原作がミステリー小説ということで、ゴールから逆算がされているのも納得です。ほかにも『ソラノヲト』『モノノ怪』なども「論理的な感動」が体感できる作品だったと思います。
それに対して「感情にうったえる感動」の代表的なものは『けいおん』『CLANNAD』『あの花』などでしょうか。こちらの方がいつまでも心に刺さり続けるのが特徴です。
2種類の感動は決して相対するものではありませんが、やはり1つの作品ではどちらかに偏ってしまうものです。しかし私の知る限りではこの2つを見事に両立させた作品が1つだけあります。
『魔法少女まどかマギカ』です。
因果の渦に必死で抗おうとする少女の物語。まさに「論理的感動」と「感情にうったえる感動」の融合です。
『まどかマギカ』が次世代のアニメの新たな基準を作ったような、他のアニメとは何か次元が違うような、そんな感じがするのはこの為なのかもしれません。
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