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妄想代理人




2004年からWOWOWにて放送されていたアニメ。私が見たのはつい先日です。
ストーリーが重要なアニメなのでまず振り返っておくと・・・
疲れた現代社会を癒す人気マスコットキャラクター「マロミ」をデザインした鷺月子は、ある夜、通り魔少年バットに襲われた。突如世間に現れた少年バットは次々と人々を襲いはじめ、市井の人々を恐怖へと陥れていく。しかし、幾人も被害者が出、多くの目撃者がいるにも関わらず、少年バットは一向に捕まりそうになかった。猪狩慶一と馬庭光弘は捜査を進める中、被害者の持つ不思議な共通項に辿り着く。(wikipedia)
全体に暗い雰囲気が漂っていて、現代劇であることや、少し古めの作画なども相まって、正直、けっこう不気味です。ただ怖いアニメ好きの私としては、むしろ早く次が見たいと思わせるための原動力になっていました。さらに、ただ単に怖いというだけではなく、妙に現実味のある世界観に落ちていくような入り込み感が非常に強く、見る側の「解釈力」を求めるけっこうレベルが高い風なアニメではあるのですが、そのあたりは度外視にしても雰囲気だけで十分に素晴らしいアニメであると言えます。
(ここからネタバレを含むのでこれから見てみようと思う人は読まない方がいいかも。)
ウィキペディアにもあるように、「謎の通り魔、少年バットの正体」がこの話のキモとなっています。しかし、なんだかんだハッキリとした答えが出ることはありません。意味ありげな伏線はこれでもかと張られているのですが、推理アニメではないのでそれらをつなげても「なるほどっ!」とはなりません。よって、視聴者は妄想を膨らませて一見突飛すぎるストーリーを解釈していかなければなりません。
私の場合はとある事情もあって、かなり序盤から一つの仮説を立て、その後の展開を全てそれにこじつけながら見る、ということができました。ちなみに仮説(というか、見かた)というのは、「アニメ内で起きる怪奇としか思えないような現象も、人の妄想が作り出す化学的にありえるものとする。」というものです。(誰が見てもだいたいこういう感じにはなると思いますが)
『妄想代理人』の題字の下に、「Paranoia Agent」と英語訳か英題が書いてあるのですが、この「パラノイア(paranoia)」は「妄想」の意のほかに「偏執病」という精神病の一種としての意味もあります。私はたまたま、このパラノイア患者についての本を読んだことがあり、そのイメージがあったおかげで、このアニメのストーリーにもある程度の整理をつけることができました。
パラノイア患者の特徴の一つに、異常な被害妄想というものがあります。よくある例としては「町中で自分を監視しているに違いない」や「自分は脳にチップが埋め込まれて、月の裏の基地から操作されているに違いない」などがあげられています。また、薬物依存者にもパラノイアの症状がよくみられ、コカイン依存者の多くは「皮膚の中に虫が這っている」という感覚、幻覚、妄想に取りつかれ、皮膚が裂けるまでかきむしってしまう事例が多く挙げられています。コカインの摂取によって皮膚が敏感になることや、血管が浮き上がることが原因といわれていて、それらの「現実の症状」によって虫が這うという共通の妄想が引き起こされ、皮膚から出血するという「現実の症状」に戻ってくるわけです。このように、現実に起こる事象と妄想が一連の流れをなしうるということは、妄想代理人においても、少年バットによる被害が必ずしも現実の「少年バット」によるものとは限らず、また、他傷であるとも限らないということになります。また、何の関連性もないような人が次々と少年バットの被害にあっているということについても、「少年バットの存在を意識してしまった」という現実によって「少年バットの被害にあう」という共通の妄想が引き起こされているとも考えられるわけです。

例えば、もし、すべての人が水を飲むようにコカインを摂取している世界があったとしたら、皮膚の中に這う虫は「妄想」と呼ぶことはできるのでしょうか。コカインの副作用は「虫が這う妄想を見る」から「虫が這う」になっていたのではないでしょうか。全ての人が同じものを認知していればそれは「存在する」といってもいいのかもしれません。少年バットは最終的に巨大化、そして黒いかたまりとなって町中を破壊していきます。あのシーンはふかんで描かれているようでふかんではないのです。国民にメディアによって植え付けらた少年バットの恐怖が同時に発現し、そこにいる誰もが黒いかたまりを「実際に」見ていた。つまり、私たちが見たあの映像は「本当のふかん」ではなく、「主観の集合としてのふかん」ということなのです。もしかしたらあのシーンの真実は、目を血走らせ集団妄想に取りつかれた人々が、人を殴り、ガラスを割って暴れまわっているだけなのかもしれません。
人の妄想が作り出す可能性の恐怖、どこまでが真実なのかという確信など持つことはできないということの不思議さを体感できるかが、このアニメのポイントだと思います。
ただ、この見方で大抵のつじつまは合っていたのですが、最後の最後だけ微妙に矛盾してしまいました。すでに町中が黒い塊に飲み込まれている中で、最初の被害者であり、最初の妄想者でもあった鷺月子が誰もいないところで、自分自身の妄想を認める。すると、町中を覆うかたまりが消える。という決着なのですが、私の説だと、少なくとも鷺月子が妄想を認めたところを間接的にでも、全国民が知る必要があったのですが、そのような様子はありませんでした。そこはどう解釈したらいいのか、よくわかりません。
このアニメのオープニングは映像も込みでものすごく効果的なものでした。たぶん、あのオープニングをまじまじと見ていると催眠効果があると思います。オープニングで頭が程よくボンヤリとしてきたところで、本編を見ると、現実と妄想の狭間が分からない不思議な感覚が強くなるのだと思います。
さらにエンディングも、まるで「全てはマロミの夢だった」というかのような意味深なもので、何とも言えない後味を残してくれます。
オープニング、本編、エンディング、の一連の流れで見せていこうという演出が作品全体への埋没感を高めているようでした。

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ささみさん@がんばらない




13年1月から始まったアニメの中ではいちばん面白かった印象です。ただ、これからが重要というところであっさり終わってしまった感が強く、2期があるとないとでは後味がかなり変わってきそうな感じです。日本神話をベースにしたやたらややこしい設定という種を撒くだけ撒いて、まだ実りが足りないような気がします。とにかく、面白かったので2期をやってほしいです。

『ささみさん@がんばらない』では久々にシャフト節がぴったりはまっているような感じがしました。まどかマギカの魔女のシーン以来でしょうか。日本神話がもつ平面的な絵のイメージと相性がよかったのだと思います。それからコミカルな会話シーンから戦闘シーンまでどちらもおざなりにならず見応えがあります。とくに戦闘シーンが意外にも見応えがあり、これまたシャフト節であるハッタリの効いたセリフと緩急の強いカットが効果的で、決して戦闘メインのアニメではありませんがとてもテンションの上がる完成度でした。個人的には、かがみがうまいことを言いながら重火器を撃ちまくるという強制的なギャップの演出が好みでした。

それにしても、「日本神話」という設定は間違いがないな。と思います。
『ささみさん@がんばらない』をみていてよく思うのが、「あれ、この単語どっかで聞いたことある」ということで、神話ベースなのであたりまえではあるのですが、ここで言うのはそういうことではありません。例えばドラクエの武器「あめのはばきり」とか、ガンダムOOの「スサノオ」とか、「やたのかがみ」なんかはワンピースでもガンダムでも登場したと思います。神話関連のワードはどうも使い勝手が良いようで、様々なところでちょくちょく使われてきているようです。『ささみさん@がんばらない』ではそのあたりのワードが登場しまくるわけですがこの時の「しってる、しってる」感はとても重要なことだと思います。他のアニメとかで培われたその言葉に対するカッコいいイメージが流れ込んでくるわけですから、やたらにテンションがあがってしまうのではないでしょうか。世界史の授業で大航海時代のところをワンピースに絡めながら楽しそうに話す先生の姿を思い出しました。


月読神臣の声と、絶対に顔だけは映さないところは『アイドルマスター』の社長とかぶっていますよね。一応、共通させたりするものなのでしょうか。



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めだかボックス アブノーマル



ヨルムンガンド、めだかボックスなど、一期の感想だけ書いておきながら2期については一切触れないという状況が続いてしまいました。正直いうと一期で言いたいことはほとんど出してしまって、二期ではあまり書くことがなくなってしまっている。ということも否めないのですが、その説を否定するためにも「めだかボックスアブノーマル」については触れておきます。

このアニメの一期から二期への変化は私にとってはほぼ文句なしの「改善」であったと言えます。
一期の面白みを簡単にまとめると「学園もの勧善懲悪アニメと見せかけて、その枠を遥かに越えた超絶能力のギャップ感」だと思います。二期ではここから「学園もの」「勧善懲悪」「ギャップ感」が引かれ「超絶能力」だけが残され「中二感」がプラスされました。そしてとにかくこの超絶能力と中二感が「これでもかっ!」と盛りだくさんなのです。
ベタな例を挙げると「今まであんな重いおもりを身に着けていたのか・・・パワーは落ちるがスピードはこれまでの比べ物にならないぞ!」みたいなやつです。こんな感じのワクワクせざるを得ないバトルが「これでもかっ!」なのです。そりゃ面白いに決まっています。
一期ではある意味この勢いを阻害していたともいえる「学園もの」という設定もいさぎよく捨て、「敵の地下施設の各階に待ち受ける敵を倒していく」という必要最低限のいわゆる「ダンジョンもの」に変更されています。これも私にとっては改善でした。

今回OPのある部分(都城王土がロボットに乗ってるシーン)をみて「ああ、ガイナックス、グレンラガンと同じところか・・」と気が付きました。言われてみればあの大見得を切るようなテンションの上がる戦闘シーンの演出はまさにグレンラガンのその感じです。


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新世界より





久々に更新します。なんだか文量が無駄なインフレを起こし、しかもたくさん書いている割には的を得ていない・・・。星4つなのにほとんど悪口しか言っていなかったり、どうも褒めるのが苦手だということに気が付き始めました。それが嫌になって更新していなかったのですが、そろそろ本来の目的(あくまでも個人的なメモを残す)に立ち返って更新を再開したいと思います。ということなのでレビューというよりはアニメを通して思ったことメモしていくという感じになります。星の数といっていることも一致しない場合が多いと思います。


本題に戻って「新世界より」についてです。
見事な尻すぼみ・・かと思いきや最後はけっこう巻き返した。そんな感じでした。面白かった部分とつまらない部分の落差はなかなか希に見るものだったと思います。

まずこのアニメは12歳編、14歳編、26歳編に分けられます。

12歳編、ここはとても良かったです。放送当時は「このアニメは絶対に当たりだ!」と思ったものです。超能力を使う子供たちの学校のはなしなのですが、この面白さはなんだろうと考えたところ、思い出しました。ハリーポッターです。魔法(呪力)学校という点もそうなのですが、何よりよかったのは日常の生活と底知れない危険と謎が同居しているというところ。ハリーポッターでいうところの「あの部屋には絶対に入ってはいけない」といわれつつなんだかんだで入ってしまうハリー、そしてとてつもない危険が待っている。あの緊張感が12歳編には間違いなくありました。
図書館のあたりはとくによかったです。

14歳編、ここで突き放されました。いまだにあの同性愛描写の意味が分からないのですが・・・。「ゆるゆり」こそ視聴済みの私でも「ガチホモ」はちょっと・・・視聴者に喝を入れるためのシーンだったのでは?と推測せざるを得ません。確かに目は覚めました。目覚めたわけではありません。
ともかく14歳編になって突然同性愛設定が追加されたわけなのですが、これのせいで「なんなのこいつら」と登場人物全体への嫌悪感が強くなっていったのです。
さらにこのアニメの問題点がもう一つ明らかになります。世界の「未知」の部分は非常に面白いのですが、その「未知」が明らかになり、いざ何かが起こってみると何とも退屈なシーンが続いてしまうのです。例えばバケネズミとの戦闘シーンや瞬と真理亜を捜索するシーンなど、動きのあるシーンがどうもイマイチな感じでした。登場人物(特に男)が成長する程に無意味にホストっぽい見た目になっていったことなどもそうなのですが、原作のストーリーとしての優秀さにアニメとしての表現がついていけていないような感じがしました。

26歳編。14歳編の中だるみですっかり流し観になっていた私ですがここで再び引き付けられることになりました。というのもここからは今までの流れは引き継ぎつつ、新たなテーマに話が移っていくからなのです。いままで人間の奴隷のように扱われていたバケネズミの逆襲の話になっていきます。「奴隷のように」といいましたが実際奴隷のようだったと気が付くのは我々視聴者も含めて終盤になってからです。賢いモンスター程度に思っていたバケネズミが人間への反逆を企てるほどの存在だったとは・・。あたりまえの認識が間違っているかもしれないという恐怖が胸にしみる展開です。いうなれば『猿の惑星』の感じです。今回例えが超メジャー洋画に偏りがちですが、『新世界より』が最近のアニメには比較的珍しい設定やストーリーの面白さが際立った作品であることを示唆しているのかもしれません。
このアニメ、何よりよかったのは最終回です。以前何かの記事で書きましたが、完結するアニメのジレンマとして「最終回がつまらない」ということを挙げたと思います。しかしこのアニメは違います。最終回がいちばん面白かったといってもいいと思います。これは本当に珍しいことではないでしょうか?
ここから一応ネタバレになります
最終回に至るまでの展開や伏線をしっかり肯定する形で、見る側の視点を一気に切り替えさせられます。とりわけ響いたのは反逆したバケネズミのリーダー、スクィーラが裁判で放った「私は人間だっ」というセリフ。この瞬間にとにかく鼻持ちならない策士であったスクィーラに対する見え方が初めて変わるのです。いわば「アイム ユア ファーザー」みたいなものです。
最終回の、しかも中盤に入ってから、全話中最大のカタルシスポイントをもってくるとは・・・、中盤はダレダレでしたが終わりよければ全てよし。この最終回のおかげで後味はとても良い作品となりました。

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HELLSING (ヘルシング)





OVAを見るべきだったのかもしれません。テレビアニメ版とOVAはそもそも製作会社から違うようで、OVAはすこぶる評判が良いようですがテレビ版はまずまずといったところ。「OVAに比べると劣る」ということなのかもしれません。

アーカードがカッコいい。
とにかくこれにつきます。真っ赤なコートに真っ赤なシルクハット、変態的な色つきメガネ。そして何を考えているのかいつもニタニタと笑っている、まさに狂気に満ちたキャラクターです。そして問答無用の強さ、なんというか「常に勝利のフラグが立っている」感じのキャラクターです。
そんなアーカードが時折見せる「人間味」ここが重要です。インテグラルへの意外な忠誠心の厚さや、セラスヴィクトリアを不器用に「婦警」と呼んでしまうあたり。このギャップ、このグッとくる感じ、まさに「萌え」です。

アーカードの魅力は満点、しかしそれ以外のところに関してはあまり良くありません。製作が2001年とそこそこ古いということもあるかもしれませんが、もっとやりようがあった、そんな感じです。
まずBGMがうるさい。ほとんどのシーンで洋楽みたいな曲が流れているのですが、正直じゃまなときが多いと感じました。カッコいい曲を足せばもっとカッコよくなるというわけではありません。あえての静寂も必要だと思います。
それから、OVA版ではこうなっていて欲しいという願いも込めて、インテグラルの魅力をもっと引き出して欲しい。テレビ版でもカッコよさげではありましたが、所詮はアーカードの引き立て役になってしまっていました。作画にも問題があったと思います。服がダボダボしていてダサいです。

欠点が多いのに、なぜか退屈せずに最後まで観れてしまう。私が挙げた欠点など所詮は「評価」という目線からしか生まれないものなのかもしれません。実際は「アーカード、キター」みたいな感じで十二分に楽しめるアニメです。

(追記)
OVAも10巻くらいまで観ました。
なるほど、テレビ版が子供だましに思えるほど物凄い完成度でした。作画、台詞まわし、キャラクター達のインパクト、どこをとってもすさまじい迫力なのです。特にすごいのは台詞でしょうか、どのキャラクターも口を開けば名言ばかり・・・。見応えがありすぎます。余談ですがアンデルセンの「エ~イメ~ン!」にあそこまでの凄みを出せたのは、若本規夫さんの面目躍如というところでしょう。


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