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ローゼンメイデン(2013)





ローゼンメイデンと言えば「ローゼン麻生」でもおなじみ、かなりの有名どころアニメだ。とは言いつつ私は前作アニメは観ていないという状態で今作を視聴した。そんな状態でも登場するドールはほぼすべて見覚えがあった。というよりは「これローゼンメイデンのキャラだったんだ」と気づいた、という方が正しいかもしれない。どちらにしてもキャラクターだけでもここまで浸透しているのは、さすがの人気ということなのだろう。


このアニメは、なかなか極端な2部構成となっている。そして前半、後半で印象が大きく違うため、全体をとおして「星いくつ」というのは難しいように感じたが、前半が星4つ、後半が星2つで、あいだをとって星3つということにする。要は、前半はかなりおもしろくて、後半はダメだったというのが私の印象だ。


まず前半、ここは鬱屈した大学生生活をおくる主人公とそこにやってきたドールの真紅が、特に何が起こるでもなく生活しているというだけのパート。ストーリーが動き出すのは後半になってからなのだが、「ずっと何も起こらなくてもいい」と感じてしまうほど前半は良かった。何が良かったのかというと、とにかく真紅が可愛いよ、というところだ。今までいろいろ俗っぽいアニメも見てきたが、今回このアニメで「萌え」というものの真髄を見たような気がした。主人公の汚いアパートにはあまりにも不釣合いな、気品あふれる貴族のような真紅が、何かにつけて文句を言いながらもこの生活になじんでいる様。小さな体で、ちょっとした段差を乗り越えたり、新聞を読んだりするのにも一苦労している様。それでも主人公のことはしもべ扱いしている様。など。所作がいちいち可愛らしい。
私はかねてから「萌え」というのは、日本人が培ってきた「詫び、寂び」の派生形の一つなのだと思っている(実際、詫び寂び萌えという言葉があるようだ)。ただ単に美少女が出てくるということだけではなく、そこに「ぼろアパートに住んでいる」とか「小さくて不便そう」とか「お高くとまってる」とか、なにか難を抱えている方がかえって愛おしさを感じるわけだ。これは質素なものを美しいとする詫び寂びに通じるものがある。千利休の小さな茶室と、真紅の小ささはには同じ魅力があるのではないか、ということだ。前半部分にはそんな萌えの本質が詰まっていた。設定は同じなのだとしたら、前作が有名になるのも納得できる。


後半について、ここからストーリーが動き出すのだが、正直前作を見ていない私にとっては全く面白くなかった。設定がよく分からない、という問題もあったが、それよりも中途半端にファンサービスをし過ぎているという感じがした。とは言っても、前作を見た人にとってもお世辞にも面白いとは言えない中途半端さだったのではないだろうか。
舞台が現実世界から「Nのフィールド」という場所にうつり、さらに今まで登場してこなかったドールたちがなんだかんだで揃い、「誰がマスターで・・・」「ローザミスティカが・・・」と、用語を交えて今がいかに大変かということをいろいろ説明してくれているのだが、なんというか、ストーリーに感動したり、先が気になったり、という気持ちが全く起こらない。「ああ、なんかやってるな」という感じだ。さらに、全体が「ドールの世界」&「バトルもの」の雰囲気になってしまっているため、前半で感じた萌えの真髄もすっかり感じられなくなってしまった。


良いところと悪いところが極端なアニメだったが、総合してみれば佳作程度、後に語られるほどの作品ではなかった。しかし、逆を返せば、しっかりと名作の仲間入りをしている前作は、今作の良いところはそのままに、ストーリー面も優れていたのではないだろうかと期待してしまう。暇があれば前作もぜひ視聴したいところだ。

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きんいろモザイク





ここ最近のこういう感じのアニメでは、一番良かったように感じた。今後もコンスタントに同じようなものが放送されるのだろうが、できればもう1クールほど、このアニメをやって欲しいと、最終回にはそう思った。
とはいっても、この手のアニメのどれが良かったという話は、個人差しかないようなものだと思う。例えば、このブログでは、「ゆゆ式」や「Aチャンネル」についておおむね悪口しか書かなかった記憶があるが、それらのアニメときんいろモザイクを比べても、なにか決定的な差があったというわけではない。ただ単にノリがあうかどうか、というだけのことだ。「この人とは気が合うな」とか「この人はなんかやだな」とか、人間関係でもそりが合う人と会わない人がいるようなもので、そこに優劣はない。

で、このアニメの何が気に入ったのかというと、「嫌なところがない」ということだ。
「ゆゆ式」や「Aチャンネル」では私の文章力せいで、まるで「全体的に悪かった」と言いたかったかのようになってしまったが、別にそういうわけではない。この手のアニメはほぼテンプレートで出来上がっているようなものだが、このテンプレートの部分に関しては本当に素晴らしいものだと思っている。登場人物の可愛さは既に約束済みのようなものだし、しかもそんなかわい子ちゃんたちの日常をただ見ているだけという構造、よく考えてみると、なんて受動的で中毒性のある構造なのだろうと感心する。これは日本が誇るべき堕落文化だ。
というように、このテンプレートという素晴らしい発明は認めたうえで、「でも、あそこがちょっと違うんだよな」と引っかかる部分があったということなのだが、このアニメに関しては、その引っかかる部分がほとんどなかった。ということは、このテンプレートにどっぷりと浸って、堕落し放題ということだ。これだけで十分なのである。「けいおん!」について、「ぬるま湯に浸っているような気分になるアニメ」と言った人がいたが、まさにその通りだと思う。


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GUNSLINGER GIRL






イタリア政府・首相府は、表向きには障害者への様々な支援を行う組織として公益法人「社会福祉公社」を設立する。しかしその実態は、身体に障害を持った少女たちを集め、身体の改造と洗脳を行い、反政府組織に対する暗殺をはじめとした超法規的活動を行わせる闇の面を持った組織だった。少女たちは、「義体」と呼ばれる人工の肉体と引き換えに、時に危険すら顧みられることなく銃を手に戦う運命を背負わされた。(wikioedia)


いつも理屈をこねて文句ばかりを書いている私だが、GUNSLINGER GIRLは珍しく手放しに良かったと言いたい作品のひとつだ。
全体は暗い雰囲気で、常に悲しさが付きまとうのだが、その中で一瞬感じられる人間味を感じるシーンに胸が熱くなるストーリー。さらに、ストーリーの魅力引き立てるBGMやセリフの言い方などの演出。毎話を飽きさせない構成。13話で終了したとは思えないほど胸に刺さる最終回。など、総合的に見ても非常に完成度が高い。自信を持ってお勧めしたいアニメである。
ちなみにこのアニメは2期も存在するのだが、もしこれからこのアニメを視聴しようと思っていて、1期2期ともに楽しみたいという人には、まず2期から見ることを強くおすすめする。その理由については後で説明することにする。


「女の子が銃を持って戦う、そして凄く強い。」アニメや漫画では比較的よくある設定だ。GUNSLINGER GIRLもパッと見ではそういったジャンルに入るのかもしれない。一般的なこの系統のアニメは銃と女の子のギャップで「女の子が可愛い、もしくはその裏返しでカッコいい」といった趣向が強く出ている。しかし、このアニメの戦闘シーンは「子供が戦うなんてどうかしてる」という印象を常に感じる。かっこよさや可愛さより、むしろそういった不条理を感じさせる演出がされているのだ。その時点で単なるガンアクションアニメであるという認識は捨てるべきだ。このアニメは心理描写メインの非常に文学的な作品であるといえる。ガンアクションはあくまでも作品全体にリズム感を出すためのアクセントのようなものと考えた方がよい。


このアニメを見ていると、少女たちのあまりにも辛く悲しい境遇に幾度となく胸を締め付けられ、やりきれない気持ちになる。「条件付け」と呼ばれる洗脳によって彼女たちは過去の記憶を失い、戦闘の道具として都合のよい感情のみが植えつけられている。悲しいのは、それが彼女たちにとって必ずしも不幸というわけではなく、道具として扱われることに幸せを感じてしまう、洗脳というもののそういった側面を描いているということだ。義体それぞれにつく担当官に対しての強い忠誠心と愛情も、条件付けによって植えつけられたものなのか、本当にそう感じていたのか、本人にもその境界すら分からない。そういった漠然とした葛藤にさいなまれることもありながら、それでも限られた感情と環境の中で必死に「普通の女の子」として生きようとする少女たちに、大げさではなく「生きることの意味」について考えさせられる。


作品全体は、中盤くらいまでは各フラテッロ(義体と担当官のコンビ)に着目したオムニバスに近い作りになっている。担当官によって義体の扱い方はことなっていて、例えばメインキャラクターであるヘンリエッタの担当官ジョゼは、極力条件付けによる強要はしないで普通の生活をさせたいと考え、エルザの担当官ラウーロは義体を徹底して道具として扱っている。各エピソードは担当官目線で展開するものも多い。一見冷酷に感じられる担当官も、洗脳によって忠誠を得ているということに矛盾を感じ苦しめられている。心の底ではそんな感情を持ちつつ非情な態度をとる担当官と、愛情を得ることはできないと分かっていても忠誠を尽くすことしかできない義体の関係性というのがエピソードのキモである。この関係性が大きく変わることはないが、そんな中で一瞬でも義体に対して素直な感情をみせる担当官のシーンなどが、それだけで彼らは幸せだったのかもしれないと思わせるような、絶妙な感情の推移が各エピソードに感じられる。


最終話は決して大団円というわけではない。さんざん書いたように、彼女たちの悲しい境遇はこれからも変わることは無い。ラストでは、そんな義体たちが流星群の鑑賞をしながらベートーヴェンの第九を合唱し、その一方で、短い寿命を迎えようとしているアンジェリカに担当官のマルコ―はそれまでの時間を取り戻そうとするかのように、手作りの絵本を必死に読み聞かせる。要は、それまでのエピソードと同じく悲劇的で、しかしその中の少しの希望が感動的、という作りをくり返しているわけだが、そこにアンジェリカの死という大きな区切りと、第九の力を効果的に生かすことで芸術的なシーンに昇華させているのである。この最終回のおかげで、1クールだけのアニメとは思えないほどの、壮大な後味を残している。最後まで抜かりない作りには脱帽した。


何かを褒めようとしたときに他の物の悪口を言わずにはいられない、というのあまり良いことではない。しかし、このアニメの雰囲気づくりの優秀さを語るうえでは、2期のガッカリと比較するのが最も分かりやすい。
1期と2期では製作会社が違うらしく、そのせいでストーリー以外は何もかも違う。簡潔に言えば2期は何かと「普通のアニメ」になってしまった。逆を返せば1期がいかにストーリーに即した特殊な世界観を演出できていたかが分かる。2期で最も違うと感じたのは義体たちの声としゃべり方だ。2期はいわゆるよくある「アニメ声」、明らかに萌え要素が強くなっている。それに対して1期はボソボソと「棒読み」だ。一見棒読みは良くないように感じるかもしれないが、感情をコントロールされている義体たちがぎこちなく普通の女の子の会話を演じようとしているように見えて、何気ない会話シーンにもそれとなく悲しげな意味が発生する演出になっているわけだ。それから2期では義体の心の声を安易に聞かせてしまっている、これも良くない。条件付けという謎の技術で義体の心の中がどうなっているかなんて、分からない方が自然だ。
これ以外にも、キャラクターの絵、BGM等何もかもが1期ではバッチリと世界観を作り上げ、2期ではそれが崩壊している。最初に書いたが、このアニメを1期2期ともに楽しみたいなら2期から先に見るべきだ。1期→2期の順でみてしまうと、よほどの精神力が無いかぎり、2期1話を最後まで観ることすら難しいだろう。こういう言い方はしたくないが「2期が1期の冒涜になっている」と言ってもいいほどガッカリしてしまうからだ。
しかし、冷静になって2期を見てみると(私はリアルタイムで2期を先に見た)、ストーリーはぶれていないし、こちらも普通に面白い。とくにトリエラの活躍が見られるというだけでも見る価値はある。とにかく1期が良すぎたというだけで、2期だって捨てたものではないのだ。ガッカリしないために美味しい方は後に残しておこう。

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Fate/kaleid ilner プラズマ☆イリヤ




Fate/stay nightのスピンアウト(スピンオフ)作品。ちなみに私は、Fateシリーズで言うと、stay nightは半分くらい見て挫折、Zeroはすべて視聴し、あまりにも高い戦闘シーンの完成度に感動済みである。
という状況でこのアニメを見始めると、ひとまず強烈な違和感を覚える。「もしもイリヤスフィールが魔法少女だったら」というストーリーなわけだが、まずFate本筋の設定からすると魔術のようなものは既に存在している。そこに「魔法少女」という似て非なる設定を足しているのだが、このニアミス感はどうしたものだろうか。この時点で企画倒れな雰囲気が漂う。
さらに現代のアニメにおける「魔法少女」というベタすぎる存在について考えてみると、なぜFateのスピンオフに魔法少女なのか、という疑問が湧く。今、アニメ内でアニメが登場する場面で、その劇中アニメとして頻繁に登場するのが「魔法少女もの」だ。つまり、最もアニメらしいアニメとして魔法少女が認識されているということ。まどかマギカのストーリーなんかもその認識を逆手に取ったものだといえる。Fateというシリアスな世界観のアニメに、この魔法少女をぶつけるということの意味、スピンアウト作品というよりはセルフパロディ作品という方がふさわしいのかもしれない。


というようにややうがった見かたで視聴を開始したのだが、私の期待値は良い意味で裏切られた。相変わらず、なぜFateに魔法少女?という違和感は消えないが、そのことを気にしなければ、つまり、Fateであるということを忘れれば、このアニメは現代の王道魔法少女ものとしてなかなかの完成度を誇っている。「現代の魔法少女といえばこういうもの」という展開がしっかりと押さえられていて、それでいてチープなパクリらない程度の作画、演出の完成度の高さが保たれている。


まず、カード回収に励むことになる2人の魔法少女。まあ、なのはとフェイトと彷彿とさせる二人なのだが、この二人が良い。程よく嫌みのない可愛さで好感が持てるし、ロリっ娘であるということで、シリアスシーンの多少のきれいごとも全然許せてしまう。このあたりも魔法少女という設定の良さをしっかりと引き出している。
また、戦闘シーンのかっこよさについては、過去の名作たちにも勝るとも劣らないものだ。基本絵の描き方(処理の仕方?)はFate/Zeroと同じもので、戦闘シーンについても全く同じとまではいかないが、あの重厚な雰囲気は引き継いでいる。とくに、6話のイリヤが英霊になったときの戦闘のかっこよさは鳥肌ものだ。本当にFate/Zero以来の完成度だったと言ってもいい。


現代の魔法少女に欠かせないもの、それは“葛藤”だ。魔法少女ものに「実は大人向けアニメ」というイメージを定着させたのも、この心理描写あってのものだろう。
このアニメにもしっかりと葛藤が組み込まれている。とはいっても、これはあまり期待できるものではない。葛藤というのはストーリーに根差すものだが、このアニメのストーリーは非常にシンプルだ。そのため、「もう戦いたくない」→「でも、友達を一人で戦わせるわけにはいかない、私戦う!」と葛藤自体も、私が想定できた最もシンプルなものだった。なぜ美遊があそこまで必死にカードを集めようとするのか、などということが明らかになればもう少し複雑で感動的なストーリーになるかもしれないのだが、そのことについて語られることはなく「2期製作決定」に逃げられてしまった。
というように、やはりストーリーや葛藤に関してはややこじんまりとした印象であった。しかし、これに関しても王道魔法少女もので培われたチェックポイントは最低限おさえている感じで、決して悪かったというわけではない。


あえてベタな展開をもう一度やり直しているようなこのアニメだが、ところどころに過去の魔法少女もの(たぶんリリカルなのは)へのオマージュなんだろうなというシーンがある。
例えば、魔法弾みたいなものを撃つときに「シュート!」と言ったり、最終話の「全力全開」というセリフは明らかに「スターライトブレイカーー!!」を思い出す。それから、ストーリーに関しても、「何も知らないはずなのに、全て知っているかのように的確なアドバイスをする主人公の母」など、なんとなく見たことあるようなシーンが多い。
これらをパクリではなくオマージュであると感じさせることができているのということが、このアニメの完成度の高さを物語っているのであろう。







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良かったオープニング、エンディング

音楽にはうとい私ですが、アニメを見ていて「これは良い曲だな」と思うことはあります。
そもそも、良いアニメソングというものには一般的な「良い曲」とは違った条件があるのだと思います。
私がアニメソングに求めるもの、それは「本編とのつながりが強い」ということです。要は、いくら良い曲でもアニメが終わったら曲だけが独り歩きしてしまうようでは意味がないということ。
曲がアニメのイメージを補い、アニメが曲のイメージを補う、という相乗効果が発生することが理想的です。
そんな観点から私が良かったと思うOPとEDをいくつか紹介します。
動画を貼りますが、問題があるようなら削除します。一応張るのはテレビサイズの物だけにするので、そこまで問題はないと思いますが。


エルフェンリートOP『Lilium』
やはり真っ先に思い浮かぶのはこの曲です。聴くたびに何とも言えない気持ちになって鳥肌が立つのですが、そんなにすごいアニメだったのだろうか?曲のイメージが本編のイメージを作っている良い例です。



攻殻機動隊S.A.C 2nd GIG OP 『rise』
Liliumと同じく、日本語でも英語でもない曲。歌詞という情報がない分、本編のイメージが入り込みやすい。しかもミステリアスな雰囲気でかっこいい。



妄想代理人OP『夢の島思念公園』
これはぜひ映像込みで見てほしい。すごく頭がおかしくなりそうな曲です。本編の内容が「どこからが妄想で、どこからが真実なのか」みたいな不思議な内容なので、このOPをみて頭をおかしくしてから見た方が、本編の奇妙さも増すことでしょう。



あの花ED『secret base~君がくれたもの~』
曲ありきでアニメを作ったのかというくらい、歌詞、ストーリー、曲の背景、視聴者の記憶がシンクロしているという奇蹟的なつくり。つまり、上に書いた理想形に最も近いということになります。全てを理解できる世代なら、信じられないくらい感動するはず。



とある科学の超電磁砲OP『only my railgun』
こういうのをユーロビートというのでしょうか。私の中ではテンションが上がる曲ランキング1位です。




魔法少女リリカルなのはOP『innocent starter』
この作品が子供だましの魔法少女ものではないということを真っ先に示してくれる、という意味でもこの曲の存在は大きい。劇場版とかも含めて、なのはシリーズの曲=水樹奈々というブランド化ができていることも大切だと思います。



機動戦士ZガンダムOP『Z・刻を越えて』
これがロボットアニメの曲なのか?と疑いたくなるほどオシャレな雰囲気。「これは大人のためのアニメなんだ!」という強い意志を感じます。英語パートの、とくに「ゼータ」というところを「ゼ~ラ~」と発音しているところがカッコいいです。後に放送したZZガンダムのOP『アニメじゃない』と比べると、狙っている層が違うということがありありと分かります。




これくらいにしておきます。
やっぱり、聞いただけでアニメの内容がフラッシュバックするようなものが多くなりました。

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